$ 0 0 当初は観音堂の北方にあって、北薬師と呼ばれた。 慶安二年(一六四九)三代将軍徳川家光が観音堂の北西に再建し、堀にかかる橋のかたわらにあったので、家光自身が橋本薬師堂と名付けた。平成六年、現在の場所に移転した。 外部はかなり改変され、前面にあった三間に一間の向拝は取り除かれているが、浅草寺境内に遺存する堂宇のうち、浅草神社の社殿と同時代で、二天門や影向堂脇の六角堂に次ぐ古建築である。薬師如来坐像を本尊とし、他に前立の薬師如来と十二神将像が安置されている。