後、同村の台ヶ原頂上に座して天王山と称す。
戦国・天正の頃より社殿荒廃し祭事を欠くに至る。
仙台藩主伊達政宗公、寛永年中、天王山より現在の地に遷宮し、祭田・二百文(二石)の地を寄進し厚く祭事を行う。
天正に縁起を焼失し、沿革不詳だが本社は延喜式内名神社志波彦神社で、いつの頃か甚だしく衰微していたが、延宝3年(1675年)の再建には堅石五尺横六尺の小祠になり、しかも摂社である祇園牛頭天王社(現八坂神社)と並び立つ様であった。
明治4年5月14日、官国弊社規定に当り国幣中社に列せられたが、社地が狭いため社殿の造建不可なる理由により、明治7年12月24日に塩竈神社へ遷座。
明治10年3月31日に官許を得て志波彦神社分霊を岩切村の旧社に奉遷して、冠川神社と称し、国幣中社志波彦神社の摂社に指定された。
宮城県仙台市宮城野区岩切字若宮前