原題 Bell De Jour
製作年 1967年
製作国 フランス
配給 東和
上映時間 100分
監督 ルイス・ブニュエル
脚色 ルイス・ブニュエル 、 ジャン=クロード・カリエール
原作 ジョゼフ・ケッセル
製作 ロベール・アキム 、 レイモン・アキム
キャスト
セブリーヌ / カトリーヌ・ドヌーヴ
ピエール / ジャン・ソレル
アンリ / ミシェル・ピッコリ
アナイス / ジュヌヴィエーヴ・パージュ
マルセル / ピエール・クレマンティ
ルネ / マーシャ・メリル
セブリーヌとピエールの二人は、仲の良い幸せそのものの若夫婦だ。二人はお互に心から愛しあっていた。
彼女が八つの時、野卑な鉛管工に抱きすくめられた異常な感覚が、潜在意識となって妖しい妄想にかられてゆくことがあった。
情欲の鬼と化したピエールがセブリーヌを縛りあげ、ムチで責めさいなんだ挙句、犯したり、卑しい男に強姦されるという妄想であった。
セブリーヌの奥底に奇妙な亀裂が生まれていることを、ピエールの友人アンリだけは、見抜いていた。
ある時、セブリーヌは友人のルネから、良家の夫人たちが、夫には内証で売春をしているという話を聞き、大きな衝撃を受けたが、心に強くひかれるものがあった。
テニス・クラブでアンリを見かけたセブリーヌは、さり気なくその女たちのことを話した。アンリもまたさりげなくそういう女たちを歓迎する家を教えた。
一時は内心のうずきを抑えたもののセブリーヌは、自分でもわからないまま、そういう女を歓迎する番地の家をたずねるのだった。
そして、セブリーヌの二重生活がはじまった。女郎屋の女主人アナイスは、セブリーヌに真昼のひととき、つかの間の命を燃やすという意味で「昼顔」という名をつけてくれた。
毎日、午後の何時間かを、セブリーヌは行きずりの男に抱かれて過し、夜は今までの通り、やさしく貞淑な妻だった。
オープニングはいきなり倒錯した妄想から始まる。
夫婦生活は幸せで満足しているが、心の奥底に潜んでいる凌辱されたいといったマゾヒズム的願望で売春を始める。
幸せな家庭婦人と売春婦の2つの顔をもつわけだ。
大なり小なり誰もが持っているであろう倒錯した感覚。
一生心の奥底に気が付かない人も多いだろう。
そして気が付いたとしても、多くの人は実行に移さないだろう。
そんな誰にでも持っているであろう内容の映画では特に面白いわけでもなく、大胆なヌードもなく、ただこんな役を上品そうなカトリーヌ・ドヌーヴが演じるからこそ絵になっている。