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岩切城跡

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別名 高森城、高森館、鴻の館
城郭構造 山城
築城主 留守氏
廃城年 元亀年間
遺構 曲輪、空堀、堀切


高森山にあることから、別名を高森城という。


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南北朝時代の初期、後醍醐天皇が皇子・義良親王を陸奥守、北畠顕家らとともに陸奥国府・多賀城へ派遣する。

奥羽軍は京都で北朝方の足利尊氏らと戦い、尊氏を九州へ敗走させた。
奥羽軍は、二度目の畿内遠征を敢行し、このとき、奥州管領の岩切城主・畠山国氏、同じく奥州管領・吉良貞家は、北朝方として多賀城を攻撃し、義良親王一向を多賀城から福島県伊達郡霊山へ追いやった。

ところが、北朝では足利尊氏と弟・足利直義が仲間割れをし、観応の擾乱となった。尊氏方の畠山国氏は直義方の吉良貞家と岩切城合戦を行った。畠山国氏は吉良貞家に破れ岩切城は落城。畠山国氏は自害して果てた。


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南北朝時代から室町時代を経て戦国時代にかけての岩切城は、留守氏の居城として知られ、その所領は現在の岩切、利府、多賀城の一帯である。

戦国時代末期には、伊達政宗が東北地方南部を征服した。政宗は叔父の留守政景(伊達政景)を岩切城主とした。

元亀年間(1570年~1573年)、政景は居城を利府城に移し、岩切城は廃城となった。


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所在地
仙台市宮城野区岩切
宮城郡利府町神谷沢

最寄駅は東北本線岩切駅だが、
駅から遠いので徒歩では厳しい。


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ここに行くには、おおまかに岩切方面からと利府方面からの登り口があるが、この時は利府方面から登って行った。

利府方面からは最寄駅が無いので車以外は無理だろう。

遺構が曲輪、空堀、堀切だけなので、城に興味が無い人には城跡と気づかないだろう。

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